いろいろなことを考察する

「新型コロナクラスター対策専門家」提示のグラフに誤りがあります(修正版)


私がネット上でしていることの まとめ は、こちらに。
https://sarkov28.hatenablog.com/entry/2022/03/29/160915



twitter で「新型コロナクラスター対策専門家」が提示しているグラフには誤りがあります。

このエントリで示している問題は、「接触8割減」の根拠となっているグラフでも発生しています。
したがって、「接触8割減」の根拠は間違っています。
私は、最初にこのエントリを書いた 2020-09 には、この重大な問題に気付いていませんでした。
この件についての補足を、「(8)まとめ」の(2023-08-02 の追記)に書きました。

(1)新型コロナクラスター対策専門家のグラフ

このグラフには見覚えがあると思います。
テレビなどで繰り返し報道されたグラフです。

図1 新型コロナクラスター対策専門家のグラフ
図1 新型コロナクラスター対策専門家のグラフ
これは、twitter アカウント @ClusterJapan 新型コロナクラスター対策専門家2020-04-15 の tweet で提示されたグラフです。
@ClusterJapan は、政府の新型コロナウイルス対策本部の下に設置されていた クラスター対策班 の twitter 情報発信用のアカウントです。

このグラフの縦軸ラベルには誤りがあります。

縦軸は「新規感染者数」となっていますが、正しくは「感染者数」です。
つまり「その日に新たに感染者になった人数」ではなく、「その日の感染者の数」です。

「こんな誤りは小さいものだからどうでもいい」と考える人もいるかも知れませんが、この誤りは、あちこちに拡散している様子があります。
2020-08-30 放送の「NHKスペシャル パンデミック 激動の世界2▽ウイルス襲来 瀬戸際の132日-後編-」という番組の中で使われたグラフは、同じ誤りをしています。(この件については 別エントリ で説明します。)

以下でグラフにどういう誤りがあるのかを示します。

なお本エントリでは、新型コロナウイルスの感染の様子について、SIR モデルで考察するとの前提で議論します。新型コロナウイルスを SIR モデルで考察することの是非は、本エントリでは扱いません。
また、感染から発症までの潜伏期間はないと仮定しています。SIR モデルでは潜伏期間を考慮しません。SIR モデルの改良は様々なものが提案されています。潜伏期間を考慮するものとして、例えば SEIR モデルがあります。

(2)図2(図1と「感染者数」のグラフの比較)

図2を示します。(図1と、筆者作成の「感染者数」のグラフとの比較です。)

図2左 図1の再掲  /  図2右 筆者作成の「感染者数」のグラフ
図2左 図1の再掲  /  図2右 筆者作成の「感染者数」のグラフ

  • 図2左: 図1の再掲
  • 図2右: 筆者作成の「感染者数」のグラフ

図2の右と左は、ほとんど同じ形をしています。

図2右は、私が図2左を再現するようにして作成したものです。

(3)図3(図1と「新規感染者数」のグラフの比較)

図3を示します。(図1と、筆者作成の「新規感染者数」のグラフとの比較です。)

図3左 図1の再掲  /  図3右 筆者作成の「新規感染者数」のグラフ
図3左 図1の再掲  /  図3右 筆者作成の「新規感染者数」のグラフ

  • 図3左: 図1の再掲
  • 図3右: 筆者作成の「新規感染者数」のグラフ

図3の右と左は、全く違うグラフになっています。

「新規感染者数」のグラフならば、この右のようなグラフになるはずなのです。

私が作成した2枚のグラフ(図2右と、図3右)は、実質的な違いが1行だけの、ほとんど同じスクリプトで描画されています。
違いは、描画しているのが「感染者数」(=「感染者数」のグラフ=図2右)なのか、「新たに感染者になった人数」(=「新規感染者数」のグラフ=図3右)なのか、だけです。
(細かいことを言えば、ラベル指定の文字列なども異なります。)

(4)SIR モデルに詳しくなくてもグラフの正しさは判別できます

図2右と図3右、どちらが感染者数で、どちらが新規感染者数なのか。

これは SIR モデルに詳しくない人でも以下のように考えれば判別できます。

まずグラフのことは一旦忘れて、接触を減らした時に感染者数と新規感染者数はどう変化するかを考察しましょう。

  • 接触を減らした時、感染者数はどう変化していくでしょうか。
    接触をある日 -80% に減らしても、感染者数が急に減ることはありません。
    昨日までの感染者が急に治癒したりはしないからです。
    感染者数は、新規感染者数が減り、治癒する人が増えると、徐々に減っていきます。
  • 接触を減らした時、新規感染者数はどう変化していくでしょうか。
    接触をある日 -80% に減らすと、新規感染者数は急に減ります。
    SIR モデルでは、新たに感染者となる人の数は、接触に比例すると考えているからです。
    接触を -80% に減らすと、新規感染者数もおよそ -80% になります。

この考察を踏まえてグラフを見てみましょう。以下のようになっていることがわかります。

  • 図2右の赤線は、接触を減らした日付 0 から徐々に減っています。
    上で示した「感染者数」の動きです。「新規感染者数」の動きではありません。
  • 図3右の赤線は、接触を減らした日付 0 において、270 付近から 50 付近への、グラフの垂直下落があります。
    上で示した「新規感染者数」の動きです。「感染者数」の動きではありません。

つまり、図2右の赤線が感染者数のグラフ、図3右の赤線が新規感染者数のグラフです。 (大雑把な論証ですが、どちらが「新規」なのかの判別ならこれで十分です。)

なお、「新たな感染者数は、接触に比例する」というのは、SIR モデルの考え方です。 SIR モデル自体については、本エントリでは説明しません。(別エントリ で、少しだけ説明してあります。)

(5)グラフの作成過程の説明

図2右と、図3右の2つのグラフの作成過程について少し説明します。

まず私は、新型コロナクラスター対策専門家のグラフ、図1を再現しようとしました。
感染者数の計算は、SIR モデルで行いました。
潜伏期間は考慮していません。(新型コロナクラスター対策専門家のグラフも同様です。)

グラフ作成に用いたのは、統計解析向けプログラミング言語の R です。
R のスクリプトは、kilometer 氏(twitter アカウント @kilometer00)による記事 「{deSolve} 微分方程式 de オトナダマシ」 の中のスクリプトを改変して使用しました。私は R スクリプトは不慣れなので、大変助かりました。kilometer 氏には感謝します。
スクリプトでは、パッケージ deSolve とパッケージ magrittr を用いています。deSolve は微分方程式を数値的に解くためのパッケージです。

グラフを作成する際には、様々なパラメータを決めなければなりません。
パラメータは「描画したグラフが、新型コロナクラスター対策専門家のグラフの形と似た値となるように」試行錯誤して決めました。

作成した「感染者数」のグラフ(=図2右)の形は、新型コロナクラスター対策専門家のグラフとそっくりですが、細部は一致していません。
(一致しないのは、新型コロナクラスター対策専門家 や専門家会議などが、グラフ描画に用いたパラメータなどを公開していないからでもあります。)
(2021-01-16 の追記:西浦氏は、この件に関するパラメータを公開していました。こちら。失礼しました。現在のグラフは、このパラメータを使っていませんが、ほぼ同型です。後日、公開されているパラメータでのグラフに差し替え、ここの記述も変更するかも知れません。)


本エントリの意図は、これら細部の一致や不一致を検討することではなく、縦軸が「新規感染者数」なのか「感染者数」なのかを定性的に確認することなので、細部の不一致はご容赦下さい。

(6)接触のパラメータの変化のさせ方

図2右と図3右に共通の事項として、接触のパラメータ \beta の値を以下のように変化させました。 この変化は、新型コロナクラスター対策専門家のグラフと同じ要領で行いました。
\beta_0 は、time = 0 における \beta の値です。

線の色 開始日付 終了日付 \beta
赤い線 -20 -1 \beta_0
0 \beta_0 × (-80%)
青い線 -20 -1 \beta_0
0 \beta_0 × (-70%)
灰色の線 -20 -1 \beta_0
0 6 \beta_0 × (-40%)
7 13 \beta_0 × (-60%)
14 \beta_0 × (-80%)

日付 0 と 7 と 14 のところで、グラフが折れ曲がっています。これが \beta を変化させた効果です。

(7)グラフの垂直下落の有無が重要

これまで見てきたことを再検討します。

新規感染者数は、接触のパラメータ \beta を変化させた時、不連続に変化します。
例えば \beta

日付 \beta
昨日まで \beta_0
今日から \beta_0 × (-80%)

と変化させれば、今日の新規感染者数は、昨日の新規感染者数のおよそ (-80%) になります。

このように、接触のパラメータ \beta 変更の前後で、「新規感染者数は不連続に変化」します。
つまり \beta 変更の前後で「グラフの縦軸の値は垂直下落」します。

縦軸の値が垂直下落しているのは、図3右のグラフです。
グラフが重なっているので見にくいですが、赤い線と青い線は1回ずつ垂直下落し、グレーの線は3回垂直下落しています。垂直下落の回数は(6)に示した \beta の変更回数と一致します。

図3左などのグラフは \beta 変更の前後で縦軸の値が連続していて、垂直下落はしていません。

垂直下落のない「感染者数」と垂直下落のある「新規感染者数」は、このように本質的に違うのです。

垂直下落の有無を見れば、新型コロナクラスター対策専門家のグラフ(図2左)は、図2右のグラフと同じ要領で計算されていることがわかります。
ここで計算されているのは「感染者数」であって、「新規感染者数」ではありません。
ところが、新型コロナクラスター対策専門家のグラフの縦軸ラベルは「新規感染者数」となっています。

つまりこの縦軸ラベルは誤りです。

(8)まとめ

見てきたように、「新型コロナクラスター対策専門家」の 2020-04-15 の tweet で提示されたグラフ 図1 の縦軸ラベルは間違っています。

これは単なる説明用資料における表記上のミスです。
この誤りが例えば専門家会議などが行った各種の計算に影響を与えているということはないと思います。(専門家会議などが行った各種の計算の全てが妥当だ、と言っているのではありません。)

twitter におけるあるやりとりの中で、「新規感染者数」と「感染者数」の相違が話題になったので、以前から気になっていたこの論点を書きました。

新型コロナクラスター対策専門家のグラフの誤りを指摘しているにも関わらず、この twitter のやりとりと、最初に 2020-09-05 に示したエントリにおいて、私は用語やグラフの取り違えをしていて、後に修正しました。(既に誤りは修正されています。)あまり人の誤りをあげつらうものではないということかも知れません。

しかしこのグラフは、近年で最も多くの人の目に触れたグラフの1つだと思います。
これは表記上のミスに過ぎませんが、縦軸ラベルというのはグラフの表記上、重要なものです。

さらに冒頭にも書いたように、この誤りはNHKスペシャルのグラフに伝播しています。この件については 別エントリ を書きました。

(2023-08-02 の追記)
このエントリで問題を指摘しているグラフは、twitter で示されたものです。
したがってこのグラフの目的は「西浦氏による国民への、接触削減についての説明」であり、「政策決定の根拠」などではないのかも知れません。
この違いは重要です。
「国民への説明」であれば、このグラフの問題は、すぐ上に書いたように「表記上のミス」で済む可能性があります。(表記上のミスとして、小さな問題ではありませんが。)

しかし後に私は、このエントリで述べたのと同様の問題が、「接触8割減」の根拠として政府から示されているグラフにもあることに気付きました。
つまり、「「新規感染者数」であるはずの曲線が、実は「感染者数」である」という、このエントリで述べたのと同じ問題が、2020-04-22 の専門家会議で示されているグラフにもある、ということです。

この専門家会議のグラフは「政策決定の根拠」です。首相が国会答弁でそう説明しています。
「政策決定の根拠」のグラフが間違っているということになりますので、「接触8割減」という政策は、根拠が間違った政策だったことになります。
このグラフには、他にも多数の問題があるので、私は複数の連ツイで説明しています。
2023-08-02 時点でまだこの連ツイ群は途中なのですが、目次はこちら https://twitter.com/sarkov28/status/1463852276494180352 になります。



修正履歴

  • 2020-09-28
    本エントリと実質的に同内容のエントリを 2020-09-05 に書いていましたが、改稿してこちらに書き直し、古いものは削除しました。
  • 2020-12-13
    「である」調を「ですます」調に変えました。細かな文言も修正しました。
  • 2021-01-16
    「(グラフの)ジャンプ」という表現を「(グラフの)垂直下落」に変更しました。
    「2021-01-16 の追記」を追加し、「SIR モデルの説明」の参照先 URL を変更しました。
    2020-09-05 のエントリなどにおいて、(Δ感染者数) と (新規感染者数) を混同していました。この誤りは修正されています。
  • 2023-08-02
    修正履歴の表示形式を変更しました。
    「(8)まとめ」に(2023-08-02 の追記)を追加しました。
    冒頭に「まとめ」へのリンクと、(2023-08-02 の追記)の関連事項を追加しました。