いろいろなことを考察する

SIR 方程式では、なぜ T = 1/γ なのか(なぜ (平均世代時間) = 1/(治癒率) なのか)

最もシンプルな SIR モデル https://sarkov28.hatenablog.com/entry/2021/01/04/113012 においては、パラメータ  T γ の間に、 T=1/γ の関係が成り立っています。

  •  T は、平均世代時間です。
    (=ある感染者が感染してから、次の感染者を感染させるまでの平均日数)
  •  γ は、治癒率です。
    (=感染者が治癒していく割合)

この2つのパラメータはなぜ  T=1/γ を満たすのでしょうか。
何か無理に設定したように見えるかも知れません。

しかしこの関係式は、定義から導出できる関係式です。
したがって「無理な設定」ではなく、必然の関係式なのです。

以下、このモデルを前提として、導出の概要を示します。

(1)説明の方針

本エントリの説明は、wikipedia の「指数関数的減衰」の項 に沿って行います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/指数関数的減衰
(念の為ですが、私が確認した内容の wikipedia の該当ページの web.archive.org データは、こちら です。)

ただし、wikipedia では、計算の詳細は省略されています。
計算の詳細を示すためには、部分積分 という手法を使うことになり、積分の勉強のようになってしまうからです。
部分積分 を使った箇所の計算の正しさは、wikipedia の記述を信用して頂くことになります。
(実は、部分積分の説明も書いてみたのです。しかしやたらと長くなったので、ここに書くのは止めました。別エントリとして書くかも知れません。)

似たような主旨の説明は、こちらのプレプリント論文にもあります。
(こちらでも、計算の細部は同じように省略されています。)
2020 Maassen
The SIR and SEIR Epidemiological Models Revisited
https://www.preprints.org/manuscript/202005.0090/v1
の、式(6)~式(10)付近。

なお、本エントリを参照しながら、twitter https://twitter.com/sarkov28/status/1419620200832409608 で同趣旨を述べています。
twitter の記述は本エントリの一部であり、twitter のみに書いたことはないつもりです。

(2)説明したいこと

説明したいことは以下です。

  • (2a) SIR 方程式において、
  • (2b) 感染者の治癒率が  γ である時に、
  • (2c) 「感染者が平均的に感染している期間」が  1/γ であることを示します。
  • (2d) 「感染者が平均的に感染している期間」というのは、平均世代時間  T なので、
  • (2e) 関係式  T=1/γ が成立することになります。


(3)SIR モデルでの表現と、wikipedia での表現との違い

ここで検討している SIR モデルと、wikipedia とでは使っている文字が違います。 対照表はこうなります。

(表1) 文字の対照表

SIR モデルでの表現 wikipedia での表現
感染者数
 I
減衰する量
 N
治癒率
 γ (gamma)
崩壊定数
 λ (lambda)
平均世代時間
 T
平均寿命
 τ (または τ) (tau)


(4)計算の説明

(4-1) 指数関数的減衰の微分方程式と、その解

上の(2)節(2b) で述べた、「感染者の治癒率が  γ である時」に、感染者数  I はどういう方程式を満たすでしょうか。
ここでは「ある時点での感染者がどのように治癒して減少していくか」だけを考えるので、SIR の方程式の  I(t) に関する式

 \displaystyle \frac{dI}{dt} = β\ S\ I\ - γ\ I

のうち、治癒に関する部分だけを抜き出します。

 \displaystyle \frac{dI}{dt} = - γ\ I …… (4-1)

感染者を隔離して他との接触を断ち、治癒していく態様を記述していることになります。

式(4-1)と同型になっている wikipedia での式は、こちらです。

 \displaystyle \frac{dN}{dt} = - λ\ N

この式は、指数関数的な減衰を表す微分方程式です。
これを解くと以下になります。

 \displaystyle I(t) = I_0\ e^{- γ\ t} …… (4-2)
 I_0 は、時刻 0 での感染者数です。)

wikipedia での同型の式は、こちらです。

 \displaystyle N(t) = N_0\ e^{- λ\ t}
 N_0 は、時刻 0 での値です。)

ここまでをまとめます。

(表2) 方程式の解までの対照表

SIR モデルでの表現 wikipedia での表現
使う文字
 I γ T
使う文字
 N λ τ (または τ)
指数関数的減衰の方程式
 \displaystyle \frac{dI}{dt} = - γ\ I …… (4-1)
指数関数的減衰の方程式
 \displaystyle \frac{dN}{dt} = - λ\ N
指数関数的減衰の方程式の解
 \displaystyle I(t) = I_0\ e^{- γ\ t} …… (4-2)
指数関数的減衰の方程式の解
 \displaystyle N(t) = N_0\ e^{- λ\ t}


(4-2) これから、何を計算すればいいのか

導出したい関係式は、 T = 1/γ でした。
 γ は既に数式に出てきていますが、 T はまだです。
ここで、 T とは何なのかを考えます。
ここが大事な所です。

 T は「平均世代時間」でした。
シンプルな SIR において、「平均世代時間」すなわち「ある感染者が感染してから、次の感染者を感染させるまでの平均日数」を計算したいのです。
これを計算できるのでしょうか。

このモデルでは、以下のように感染の態様を単純化しているので、計算できます。
今回の計算を行うために、特別に単純化したのではありません。シンプルな SIR 方程式では、元々以下の単純化を導入しています。

単純化した感染の態様は、実際の新型コロナの病態とは色々と違います。そこに違和感を感じるかも知れません。
しかし元々、シンプルな SIR を前提として検討しているのです。だからモデルの制約は、受け入れて頂くしかありません。
また、モデルの制約があるために、つまり単純化したために、計算しやすくなる面もあります。

  • (4-2a) まずシンプルな SIR では「潜伏期間は考えません」。
  • (4-2b) なので「感染のタイミングと、感染させる能力を得るタイミングは一致します」。
  • (4-2c) また「感染力はないが、感染はしているという状態は考えません」。
  • (4-2d) なので「治癒のタイミングと、感染させる能力を失うタイミングは一致します」。
  • (4-2e) この(4-2b)と(4-2d)から、「感染してから治癒するまでの期間と、他の感受性者を感染させる期間は一致します」。
  • (4-2f) また「他の感受性者を感染させる力は一定だと考えます」。
  • (4-2g) つまり「感染力が強くなったり、弱くなったりは考えません」。

(4-2a)~(4-2g)は一々書きませんが、現実の新型コロナには当てはまりません。
しかし単純化のお陰で、「ある感染者が感染してから、次の感染者を感染させるための平均日数」を計算することができます。
上記単純化の下では、「ある感染者が感染してから、次の感染者を感染させるための平均日数」は、「ある感染者が感染している平均日数」と一致するからです。

「感染している平均日数」なら、計算できます。

(4-3) wikipedia では「答え」が先に出てくる

前節の検討により、「感染者が感染している平均日数」を計算すれば、それが  T になることがわかりました。

wikipedia には、計算の中身を示す前に、答えが先に書いてあります。
計算の概要は次節で示します。

 \displaystyle τ = \frac{1}{λ}

この式は、SIR の表現だとこうなります。

 \displaystyle T = \frac{1}{γ} …… (4-3)

ここまでをまとめます。

(表3) 関係式までの対照表

SIR モデルでの表現 wikipedia での表現
使う文字
 I γ T
使う文字
 N λ τ (または τ)
指数関数的減衰の方程式
 \displaystyle \frac{dI}{dt} = - γ\ I …… (4-1)
指数関数的減衰の方程式
 \displaystyle \frac{dN}{dt} = - λ\ N
指数関数的減衰の方程式の解
 \displaystyle I(t) = I_0\ e^{- γ\ t} …… (4-2)
指数関数的減衰の方程式の解
 \displaystyle N(t) = N_0\ e^{- λ\ t}
方程式の解から導出できる関係式
 \displaystyle T=\frac{1}{γ} …… (4-3)
方程式の解から導出できる関係式
 \displaystyle τ=\frac{1}{λ}


(4-4) 「答え」を計算する式

答えの式(4-3)を先に示してしまいましたが、wikipedia には、次の節にこれを導く計算式が書いてあります。

 \displaystyle τ = <t> = \int_0^\infty t \cdot c \cdot N_0\ e^{-λ\ t}dt

 \displaystyle \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ = \int_0^\infty λ\ t\ e^{-λ\ t}dt = \frac{1}{λ}
(c は積分定数で、 c = λ/N_0。)

この式の最初と最後をつなげると、 \displaystyle τ = \frac{1}{λ} となります。

このうち、 \displaystyle \int_0^\infty λ\ t\ e^{-λ\ t}dt = \frac{1}{λ} のところで、部分積分 を使います。

すいませんが、部分積分 のところは(1)節に書いた事情で省略します。

同じ式を、SIR の記号で書いておきます。

 \displaystyle T = \int_0^\infty t \cdot c \cdot I_0\ e^{-γ\ t}dt

 \displaystyle \ \ \ = \int_0^\infty γ\ t\ e^{-γ\ t}dt = \frac{1}{γ} …… (4-4)
(c は積分定数で、 c = γ/I_0。)

式(4-4)の最初と最後をつなげると、

 \displaystyle T = \frac{1}{γ} …… (4-5)

となります。
ここまでをまとめます。

(表4) 計算の概要までの対照表

SIR モデルでの表現 wikipedia での表現
使う文字
 I γ T
使う文字
 N λ τ (または τ)
指数関数的減衰の方程式
 \displaystyle \frac{dI}{dt} = - γ\ I …… (4-1)
指数関数的減衰の方程式
 \displaystyle \frac{dN}{dt} = - λ\ N
指数関数的減衰の方程式の解
 \displaystyle I(t) = I_0\ e^{- γ\ t} …… (4-2)
指数関数的減衰の方程式の解
 \displaystyle N(t) = N_0\ e^{- λ\ t}
方程式の解から導出できる関係式
 \displaystyle T=\frac{1}{γ} …… (4-3)
方程式の解から導出できる関係式
 \displaystyle τ=\frac{1}{λ}
関係式を導出する計算の概要
 \displaystyle T = \int_0^\infty t \cdot c \cdot I_0\ e^{-γ\ t}dt
 \displaystyle \ \ \ = \int_0^\infty γ\ t\ e^{-γ\ t}dt = \frac{1}{γ} …… (4-4)
関係式を導出する計算の概要
 \displaystyle τ = <t> = \int_0^\infty t \cdot c \cdot N_0\ e^{-λ\ t}dt
 \displaystyle \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ \ = \int_0^\infty λ\ t\ e^{-λ\ t}dt = \frac{1}{λ}


(4-5) まとめ

 \displaystyle T = \frac{1}{γ} …… (4-3)、(4-4)、(4-5)

は、導出しようとしていた関係式です。

以上で、 \displaystyle T = \frac{1}{γ} という関係式を、SIR の定義から導出できたことになります。