いろいろなことを考察する

西浦氏の Scientific Reports 論文について(1)論文の最大の特徴は、類のない非現実的な想定


私がネット上でしていることの まとめ は、こちらに。
https://sarkov28.hatenablog.com/entry/2022/03/29/160915



目次


(1)序論

西浦氏らのグループは、2023-10 に Scientific Reports にコロナワクチンに関する論文を発表しました。
後に「コロナワクチンで死者9割以上減 京都大チームが推計」と共同が報じた論文です。(以下、西浦論文、と書きます。)
Evaluating the COVID-19 vaccination program in Japan, 2021 using the counterfactual reproduction number

図1.1 西浦論文の Figure 1
図1.1 西浦論文の Figure 1(本稿では Figure 1 に直接言及することはない。)

私は、

  • 西浦論文は、「何も感染症対策を変えなければ」との非現実的な状況を想定したものである。
  • これは極めて特殊な論文である。
  • この論文を紹介した記事には不備があった。
  • 西浦氏は不備のある記事を「ぜひ多くの方に読んでいただきたい」と紹介したことは、不適切である。

と考えますので、以下に、その根拠を書きます。

この論文については、複数のエントリで書いています。

西浦論文は、ワクチン接種の4つのシナリオでの感染被害を計算していますが、本稿ではこのうち、「ワクチン接種なしシナリオ」に注目します。
このシナリオに注目するのは、このシナリオが一番極端な結果を示しているから、この論文を報じた記事がこのシナリオでの計算を特に示したから、また他のシナリオに関しても同様の議論が適用できるから、です。

(2)西浦氏は西浦論文の紹介を適切に行うべき

西浦氏は一般の研究者ではないし、この研究は一般的な研究ではないのだから、西浦論文を多くの人向けに紹介するのであれば、適切な紹介をするべきだと、私は考えます。
この点を本項で説明します。

一般の専門家が自分の論文を(あるいは自分の論文を報じた記事を)紹介した際、その周辺に多少の誤りがあっても一々批判する必要があるとは思いません。

一般の専門家は、しばしば人々に名前を記憶されていませんし、「何を研究しているのか分からない」と思われがちです。だから、「少しでも多くの人に自分(の研究)について知ってもらいたい。そこに多少の誤りがあってもいい」と考えることにも一定の正当性があります。また、一般的な研究は、多くの人々の生活に影響を与えるとしても、ほとんどが間接的なものです。したがって、紹介に多少の誤りがあってもその影響は大抵は小さなものになります。

しかし西浦氏は、この意味での「一般の専門家」ではありません。また今回の紹介は、この意味での「一般的な研究の紹介」には該当しません。

まず西浦氏は、日本における理論疫学の代表者であることを既に多くの人に知られています。 「8割おじさん」との(適切なのかが不明な)呼称もあります。 一般の研究者とは違うのであり、今回のような研究についての人々の関心はどちらかと言うと高いと言えます。 この研究やこの記事や西浦氏の紹介に関して、twitter.com 上で多くの投稿がなされたことも、人々の関心の高さを示しています。

また この研究を報じた記事 は、「ワクチン接種政策が我々の社会に与えた影響を、この研究が示した」かのように記述していました。 したがってこの記事は、社会への影響が間接的だったり、小さかったりするものとは異なります。 もしかすると、この記事を読んでワクチンへの評価やワクチン接種の判断を変えた読者がいたかも知れません。この意味で、むしろ大きな直接的な影響を与えうる記事だったと言えます。

私が、「西浦氏は一般の研究者ではないし、この研究は一般的な研究ではないのだから、西浦論文(や関連の記事)を多くの人向けに紹介するのであれば、適切な紹介をするべきだ」と、考る理由は以上です。

(3)西浦論文は、非現実的な状況を想定している

西浦論文は「何も感染症対策を変えなければ」という非現実的な状況を想定して計算しています。各項では以下を説明します。

  • (3-1): 西浦論文が前提とする「何も感染症対策を変えなければ」について。
  • (3-2) と (3-3): 西浦氏が twitter.com への投稿で、「何も感染症対策を変えなければ」が非現実的であると述べていることを。
  • (3-4): 西浦論文を「知的体操」と表現した西浦氏の投稿について。

(3-1)「ワクチン接種なしシナリオ」 ─ 「何も感染症対策を変えなければ」とは

まず、西浦論文が想定している「何も感染症対策を変えなければ」を説明します。
「ワクチン接種なしシナリオ」では、ワクチン接種をしないこと以外の全ての感染症対策が、現実のものと全く同じだったと想定しています。
つまりこの論文は、以下のことを想定しています。

  • 政府の対応について
    西浦論文が計算対象とした 2021-02-17 から 2021-11-30 の間、緊急事態宣言が2度出されました。この宣言の期間は(「ワクチン接種なし」でどんなに感染が拡大しても)宣言期間を延長するなどせず、全く同じと想定します。
  • 病院・施設の対応について
    病院・施設での面会制限も、(「ワクチン接種なし」でどんなに感染が拡大しても)強化などせず、全く同じと想定します。
  • 個人の対策について
    一般の人の対策や行動も同様であり、(「ワクチン接種なし」でどんなに感染が拡大しても)全く同じと想定します。
    例えば「ワクチン接種に出掛ける」との行動についても同じと考えるしかありません。
    つまり、現実にこの期間にワクチンを接種した人の「ワクチン接種なしシナリオ」での行動は、「同じ日に接種会場に出向き、そこで何かを注射してもらった」とでも考えるべきなのです。これは「接種会場に出掛ける」ことの感染に対する影響を、現実と全く同じにするための想定です。現実にワクチン接種の副反応が出た人は、何かを注射してもらった事により、同じ何らかの副反応が出たと想定するしかありません。
    (この段落は削除します。「ワクチン接種なし」では、「ワクチンの効果だけが無くなる」と考えてこのように書いたのですが、「ワクチン接種に伴う一連の行動が無くなる」と考えるべきでした。失礼しました。)

西浦論文が「そこまで同じと考えなくてもいい」と考えているはずはありません。もし「その感染症対策は同じでなくてもいい」というなら、その感染症対策を無駄だと考えていることになります。もし「その行動は同じでなくてもいい」というなら、その行動は感染に影響しないと考えていることになります。西浦氏は感染症対策を強く主張し、行動に注意せよと呼びかけていたので、このように考えているはずはないのです。

政府や、病院・施設や、一般の人は、「どんなに感染状況が酷くなっても(逆に軽くなっても)、実際の 2021-02-17 から 2021-11-30 と同じ様に行動した」と考えるのが、西浦論文が想定する「何も感染症対策を変えなければ」です。
私が極端なことを言っているのではありません。極端なのは西浦論文の想定です。

なお上の説明の内容は、論文のロジックにも見て取れます。
西浦論文は以下のように計算しています。

  • 「現実の感染被害」を Figure 1 で「再現」した後、
  • ワクチンの接種率「だけ」を変更し、
  • 「ワクチン接種なしシナリオの感染被害」を計算しています。

この操作は、上で説明した「何も感染症対策を変えなければ」を、計算モデル上で表現したものです。

西浦論文が「何も感染症対策を変えなければ」を採用した事情については、西浦論文の中にもある程度の説明があります。この件は(5) に書きました。

(3-2) 西浦論文は、非現実的状況を想定している(その1)

そもそも西浦氏は、西浦論文が非現実的状況を想定としていると端的に説明しています。

非現実的だとしても仮想的に作っている
https://twitter.com/nishiurah/status/1719494672786321896 (2023-11-01)

(3-3) 西浦論文は、非現実的状況を想定している(その2)

「ワクチン接種なしシナリオ」での計算は、「10カ月で36万人が死亡」でした。西浦論文は、こんなことになっても社会は全ての行動を変えないと想定しています。

しかし西浦氏は、そんなことは現実ではあり得ないと 2021 年に述べています。

「十万単位死亡なんかあるかい」はおっしゃる通り。仮に対策なくとも、日本で情緒的にそういう流行に耐えられません。皆が接触を止めます。
https://twitter.com/nishiurah/status/1437551244436914177 (2021-09-14)

西浦氏は、
「数十万人が死亡するような状況では、皆が接触を止めます」
と述べていて、これは、
「数十万人が死亡するような状況では、社会は行動を変える」
という意味です。
この説明は、西浦論文の想定が非現実的であると示しています。

もしも感染状況が現実よりも数倍の規模に拡大したら、政府は緊急事態宣言を延長するに違いありません。(こうした対策が、社会に与える影響に見合う適切なものかは別の議論です。)何も対策を変えないということは現実には起きないのです。

(3-4) 西浦氏は、西浦論文を「知的体操」だと説明している

西浦氏は、西浦論文を「知的体操」だと説明しています。
https://twitter.com/nishiurah/status/1719494672786321896 (2023-11-01)

これらは単なる知的体操の問題なんですが、要するに「他の条件が全部一緒だとして、予防接種だけなかった場合に」というのを非現実的だとしても仮想的に作っているということですよね。

西浦氏が「知的体操」とわざわざ書いたのは、この論文が、「非現実的想定と、現実とを比較する」という特殊な計算であることを、西浦氏が良く知っているからだと思われます。

なお、ここに示した、西浦氏による twitter.com への 投稿 は、「FAQにお答えしましょう」と書き出されたスレッド の一部ですから、通常の書き込み以上に西浦氏の真意を表しているはずです。

(4)西浦論文の最大の特徴は、類のない非現実的な想定

(4-1) 他の分野の専門家による、被害想定

専門家が何らかの被害想定を計算することは、他の分野でも行われています。よく目にするのは、巨大地震による被害想定です。死者数、負傷者数、経済的被害などが計算されます。

これは低い確率で起きる状況ですが、「決して実現する事はない」とその専門家本人が述べるような状況が計算されることはありません。確率は低くても、起こる可能性があるからこそ、被害を計算する価値があるのですし、社会が注意を向けるのです。しばしば、その確率も示されます。「こういう地震が何十年以内に何%の確率で起きる」「何十年の一度の大雨が降るとこうなる」など。地震災害の専門家が「決して実現する事はない地震の被害を計算しました」「ぜひ多くの方に読んでいただきたい」と述べたら、どちらかと言うと不思議がられるのではないでしょうか。

西浦論文や、西浦氏が2020年4月に発表した「42万死亡推計」は、「決して実現する事はない感染状況での被害を計算したもの」です。ただしこれらの発表は、あまり不思議がられることはありませんでした。

(4-2) 西浦論文が非現実的な想定で計算したのは、「理論疫学の都合」

地震や水害では「ある程度は起こるかも知れない状況」を計算するのに、理論疫学が「決して実現する事はない状況」を計算するのは、なぜなのか。単に西浦氏が甚大な被害を計算して見せたいからではないと思います。

現在の理論疫学においては、「何も感染症対策を変えなければ」「何も感染症対策をしなければ」といった非現実的な被害想定ならば計算できることになっていますが、「実際と少し違う特定の状況で」などのより現実的な被害想定は計算できないと思われます。これは理論疫学の都合です。

「実効再生産数が〇〇だけ変化したら」は計算できますが、ある感染症対策が実効再生産数をどれだけ変えるのかは計算できないのです。西浦論文や「42万死亡推計」が非現実的な想定で計算されたのはこれが理由でしょう。

(上で「計算できることになっています」と回りくどく書いたのは、西浦氏はそう考えているはずですが、私は異論があるからです。この件は今は措きます。)

私は、非現実的な状況を想定して計算すること自体を批判しているのではありません。しかしそれは、専門家の「知的体操」であり、専門家の間で議論の対象にするような特殊な計算です。一般の人が見聞して内容を理解することが要請されたり、奨励されたりするものではありません。

(4-3) 西浦論文の想定は「実現したかも知れない非現実」ではない

「誰もワクチンを接種しない」との想定だけなら、(これもかなり特殊ですが、)実現するかも知れません。しかしこの論文はそれと同時に、(3-3) などで述べたように、「10万人単位が死亡するような酷い感染状況下でも、政府や人々の感染対策が、実際と全く変わらない」との状況を想定しています。この状況は非現実的です。この「何も感染症対策を変えなければ」が非現実的で特殊な想定なのです。

ここでいう非現実が、「現実的な状況から少し外れた、実現したかも知れないけどたまたま実現しなかった非現実」とは違うことを特に指摘します。西浦論文の非現実は、「どんなことがあっても実現することのない非現実」です。

(4-4) 西浦論文の最大の特徴は、他に類を見ない非現実的で特殊な想定

論文は、実現することがないとはっきり分かっている状況を計算機の中に仮想的に作り、そこでの感染者数や死者数を計算しています。

西浦論文の最大の特徴は、他の分野で類を見ない非現実的で特殊な想定にあります。

(5)非現実的な想定で計算した事情に関する、西浦論文の記述

(5-1) 非現実的な想定で計算した事情に関する、西浦論文の記述

「理論疫学の都合」について述べた (4-2) で、

現在の理論疫学においては、「何も感染症対策を変えなければ」「何も感染症対策をしなければ」といった非現実的な被害想定ならば計算できることになっていますが、「実際と少し違う特定の状況で」などのより現実的な被害想定は計算できないと思われます。

と書きました。関連する記述が西浦論文にもあるのでご説明します。

Our study involved several technical limitations. ... during the research period, Japan experienced three state of emergency declarations ... . Rather than incorporating the specific variable of a state of emergency into the model (e.g., quantified effectiveness of PHSM), we tried to indirectly capture its impact via estimating the effective reproduction number using several explanatory variables, including mobility.

本研究にはいくつかの技術的制約があった。(略)研究期間中に日本では(略)3回、非常事態宣言が発令された。緊急事態宣言の具体的な変数(例えば、定量化した公衆衛生的・社会的対策の効果)をモデルに組み込むのではなく、活動度を含むいくつかの説明変数を用いて実効再生産数を推定することで、間接的にその影響を捉えようとした。

この一節は、西浦論文が「何も感染症対策を変えなければ」という非現実的な想定で計算した事情を説明した重要な箇所です。しかしこの記述は、曖昧な表現を使っていると私には見えます。以下の (5-2)と(5-3)で、これら記述の意味をより明確に示します。ここを明確にすると、西浦論文が非現実的な想定で計算した事情が見えてきます。

(5-2) 西浦論文が採らなかった方法は、計算不可能

(5-1) の論文引用箇所 は、

緊急事態宣言の効果を定量化してモデルに組み込むのではなく、実効再生産数を推定することで、宣言の影響を捉えた。

などと述べています。これは、

緊急事態宣言の効果を定量化してモデルに組み込むこともできたのだが、その方法は選ばずに、実効再生産数を推定して宣言の影響を捉える方法を採った、

とも読めそうですが、そう読むべきではなく、

緊急事態宣言の効果を定量化してモデルに組み込むことはできないので、実効再生産数を推定して宣言の影響を捉える方法を採った、

と読むべきです。

なぜならまず、引用箇所 にある緊急事態宣言の効果の定量化は不可能です。西浦論文は、それが不可能なのを承知の上でこう書いていると思われます。また不可能なのはこれだけではありません。このような定量化の方法(=各種の対策の効果を定量化し、それを積み上げて対策全体の効果を計算する方法)を採るなら、国だけでなく企業や個人が行うあらゆる対策の効果、ならびにその継時的変化を定量化する必要が少なくともあります。これらはさらに不可能です。

(5-3) 西浦論文の「実効再生産数を推定して宣言(など)の影響を捉える方法」は「何も感染症対策を変えなければ」

(5-1) の論文引用箇所 にある、

実効再生産数を推定して宣言(など)の影響を捉える方法

というのは、

推定した実効再生産数になるような社会の状況を仮定する方法

という意味であり、つまり、

推定した実効再生産数になるような宣言などの感染対策を、社会が取ったと仮定する方法

です。つまりこの記述は、西浦論文が計算の前提として

何も感染症対策を変えなければ

を採用したことを示しています。

(5-4) 西浦論文の引用箇所が示す内容

結局、本稿 (5-1) に示した論文の引用箇所 は、

  • 緊急事態宣言(などのあらゆる感染症対策の)効果を定量化してモデルに組み込むことは不可能なので((5-2))、
  • 「実効再生産数を推定して感染症対策の効果を組み込む方法」つまり「何も感染症対策を変えなければ」を採用した((5-3))、

という事情を説明していることになります。

(6)西浦論文を紹介した記事の、不適切な記述

(3) (4) (5) で述べたように、西浦論文は非現実的想定での計算であり、特殊な計算です。 この論文を報じた記事がありました。

2023-11-16 コロナワクチンで死者9割以上減 京都大チームが推計
https://nordot.app/1097790003285230554

この記事は、論文が計算した期間の実際の感染と死者数を述べ、その後に論文の内容を「ワクチンがなければ、それぞれ約6330万人と約36万人に達した恐れがあるとしている。」と説明しています。

この記述は、不適切です。
「恐れがある」という表現では、論文の想定が非現実的だという意味が伝わらないからです。この点でこれは誤った記事と言えますし、少なくとも誤解を招くものです。

「コロナワクチンで死者9割以上減 京都大チームが推計」という記事タイトルも少なくとも誤解を招くものです。「9割以上減」というのは、非現実的想定での計算上の感染被害と、現実の感染被害とを比較しています。しかし既に述べたように、計算上の感染被害は決して実現することのない非現実なのですから、これを現実の感染被害とこのような簡潔な記事の中で比較すべきではありません。
両者が比較されているのを読んだ読者が、西浦論文の計算結果(実現することのない非現実)を、実現するかも知れない状況だと誤解する可能性があります。

私はこの記事は少なくとも不適切だと思います。

(7)西浦氏による、不適切な記述のある記事の紹介

西浦氏は、前項に示した不適切な記述のある記事を以下のように紹介しました。

共同通信からの配信です。ぜひ多くの方に読んでいただきたいニュースです「新型コロナワクチンで死者9割以上減 京都大推計」
https://twitter.com/nishiurah/status/1725101388987019748 (2023-11-16)

共同通信からの配信です。ぜひ多くの方に読んでいただきたいニュースです「新型コロナワクチンで死者9割以上減 京都大推計」 https://sankei.com/article/20231116-3ICUWGMN3FMVZNSKJJGKPB4ARE/ @Sankei_news から

そもそも西浦論文が非現実的な特殊な想定をしていることは、(3) (4) (5) に述べた通りです。
実現することがないと分かっている状況を計算機の中に仮想的に作り、そこでの感染者数や死者数を計算したのです。

西浦氏が「知的体操」と説明したように、この研究は専門家同士で議論する特殊なものであり、関連の報道を多くの人の向けて「ぜひ読んでいただきたい」 などとするものではありません。
しかもこの記事の内容には、(6) に述べたように不適切なところがあるのですから、なおさら多くの人にこの記事を紹介すべきではありません。

その事情を最も良く理解しているはずの西浦氏が、上のように多くの人の向けて記事を紹介したのは、非常に不可解であり、不適切です。

(8)まとめ

本稿で述べたのは以下です。

本稿は、私が twitter.com の以下のスレなどで書いたことをまとめて加筆したものです。ただし(4)(5)は、新たに書いた内容です。

(99)更新履歴

  • 2023-12-27
    公開。
  • 2023-12-29
    全体の体裁と細かな語句を修正。
  • 2024-01-05
    (3-5) を追加。関連する事項を加筆。
  • 2024-01-06、2024-01-08
    構成を変更し、(3-5) を(4)に。(5)を追加。関連する事項を修正、加筆。
  • 2024-01-09
    (3-1) の一節、「例えば「ワクチン接種に出掛ける」との行動についても・・・」に取り消し線を引きました。引いた理由は (3-1) に書きました。